ヨハネの黙示録の解釈

ホーム » Interpretation » Chapter 19-22 » ヨハネの黙示録の新しいエルサレムのこと

ヨハネの黙示録の新しいエルサレムのこと

planets

こちらの投稿とあまり変わりませんが、ほふられたとみえる子羊の解釈が、なぜ、東の空に輝く明けの明星となるのかを、その妻なる花嫁、ヨハネの送った七つの教会へのあいさつの目的である「新しいエルサレム」で説明します。

新しいエルサレムの意味が分かれば、他のところの解釈も分かりやすくなると思います。

新しいエルサレム(聖なる都・御国)は、律法と預言者が成就して主のつまずきが無くなった世界を表現しているだけなので、伝統的な解釈のように、文章どおりの国が天から降りてくるわけではありません。

「神のみもとを出て天から下って来る」とは、アブラハムに知らせた神の存在と神が与えたことば(律法)、預言が世界へ行き渡るという意味です。

個人が新しいエルサレムのように、人々が新しいエルサレムのように、律法も新しいエルサレムのようになりなさいという意味であり、裁きの後の世界では、全てがつまずきのない新しいエルサレムのようになるという意味になります。

裁きと七つの災害は、主のつまずきを無くすために必要なものであり、人類が滅ばないようにという警告でもあります。

そして、新しいエルサレムでは、現在のエルサレムは聖地ではなく、アブラハムから始まった主の道備えで新しいエルサレムとなるためのスタート地点になります。

続きを読むに続きがあります。

Wikisource

:9 最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、

「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。

:10 この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。

(黙示録21)

.


「十二の門」は、ナザレのイエスが甦らせた主のことばと、それを堅く守り教えるよう伝えた十二使徒が、人々を義と永遠の命と御国へ導く明けの明星であることを意味しています。

また、その教えを堅く守りとおして生ける神の印を押され十二部族となった人々が、同じように明けの明星のように輝き、他の人々を義と永遠の命と御国へ導く門になるという意味になります。

「東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった」は、全ての方向、誰にでも、どんな人にでも、門が開かれていることを表現しています。

これらは、「あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である」(黙示録1:20)という奥義のこちらの説明と同じ意味です。

.

「都は方形であって、その長さと幅とは同じ」と、「長さと幅と高さとは、いずれも同じ」は、ソロモンが主のために建てた宮(列王記6:19-20)と同じですが、黄金比を連想することができます。

イエスが言う黄金律(マタイ7:12-14)が、調和のとれた高い城壁を形成していることを意味しています。

「金の測りざお」は、黒い馬に乗る者が持っている測りと同じ測りです。

「彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった」は、大きさに意味があるのではなく、測りなおすことと大きさが変わることに意味があり、新しいエルサレムは地球という解釈が相応しいと思われます。

「この都の中には聖所を見なかった」は、この都が天の父からの愛そのもので律法そのものであることを意味しています。

「都の門は、終日、閉ざされることはない」は、争いが無いことを表現しています。

城壁が、敵を防ぐ壁ではなく堅牢であることを意味していることが分かります。

また、命へいたる門が開かれ閉ざされることが無いことを意味しています。

.

「いのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていると、川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす」は、天の父から与えられた物だけが与えられた所にいつでも無尽蔵にあり、それが根幹であることを意味しています。

本当の水が流れる川や一年中実のなる木が、実際にあるわけではありません。

.

「のろわるべきもの」は、こちらで説明しています。

「御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている」とは、心の清い者で神を見ているということ、正しく神を信じているということです。

こちらで説明しているとおり、実際の名前が変わるわけではありません。

Wikisource

:11 その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。

:12 それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使がおり、イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった。

:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった

:14 また都の城壁には十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。

:15 わたしに語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために、金の測りざおを持っていた。

:16 都は方形であって、その長さと幅とは同じである。

彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった

長さと幅と高さとは、いずれも同じである。

:17 また城壁を測ると、百四十四キュビトであった。

これは人間の、すなわち、御使の尺度によるのである。

:18 城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。

:19 都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。

第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、

:20 第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。

:21 十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。

:22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった

全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。

:23 都は、日や月がそれを照す必要がない。

神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。

:24 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。

:25 都の門は、終日、閉ざされることはない

そこには夜がないからである。

:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。

:27 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。

はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

:1 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。

この川は、神と小羊との御座から出て、

:2 都の大通りの中央を流れている。

川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす

:3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。

神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、

:4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている

:5 夜は、もはやない。

あかりも太陽の光も、いらない。

主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

(黙示録21-22)


メルアド・名前・ウェブサイトは必須じゃありませんので気軽にコメントください。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Monthly Archives

CATEGORY